vol.69 ここにいる
実家に残っていた、2018年の紅白歌合戦と2018−2019年のカウコンを観た。
そこには、わたしの大好きな大倉くんが映ってた。
紅白を観ていて、関ジャニ∞が映るまで何も気にしていなかったけど、エイトが紅白に出続けた中でたった一度きりの6人での出演だった。
1人だけ真っ白なジャケットを来て、明るい髪色で、大きな笑顔で強く歌う大倉くんが映っていた。
ずっと、亮ちゃんに背を向けてた。
いや、ずっとというのは語弊があるかもしれない、だけど、そう思うくらいだった。
あからさまではないけど、深層心理かもしれないけど、だけどしっかりとわたしの目にはそう映った。
あの日は、すばるくんがジャニーズ事務所に所属している最後の日。
エイトにとって、4月にすばるくんの脱退の発表をして、6人で新スタートをして、はじめて6人でツアー全公演を終えた年。台風でコンサート延期もあった、きっと一生忘れられない年。
紅白の日には、亮ちゃんの脱退の話がもう噂されてた。
それと同時に浮上していた「関ジャニ∞解散説」「大倉忠義脱退説」。
わたしはすばるくんの脱退の事実よりも、亮ちゃんがほぼ脱退で決定だという噂よりも、「もしかしたらエイトは解散するのかもしれない」「大倉くんもやめるのかもしれない」ということで押しつぶされそうだった。ストーカーの話もあったから、余計に、大倉くんのためなら辞めることを尊重した方がいいのかもしれないとさえ思ってた。
あの頃、唯一の安心材料は「ここに」だった。
「ここに」を力強く歌うエイトを、大倉くんを観ている時は「終わるわけない」「まだまだエイトと生きていけるはずだ」って思ってた。
はじめて「ここに」を札幌ドームで聴いた時の、安心感と力強さは今でも忘れられない、こらえてた涙も止まらなくて、1人だったけど札幌ドームに来てよかったって本当に思った。
それくらい、「ここに」に救われていて「ここに」のパフォーマンスを見ることが大好きだった。
だから、当時は「ここに」を観ることに必死で大倉くんからのメッセージを一切受け取れていなかったなって思った。
彼がいつも以上に、カメラに近づいて大きな笑顔を見せてくれていること。
亮ちゃんとは同じ道を歩まないということ。
関ジャニ∞の大倉忠義であり、それを観ているわたしたちに届けようとしてくれていること。
亮ちゃんに背を向けているのは、「同じ気持ち」じゃないことに対する怒りとか腹いせとかではなく、「関ジャニ∞解散説」「大倉忠義脱退説」の否定だったんだと思う。
そんなことわかりっこないけど、本当のことを確認するすべはないけど、今見てすぐにそう思った。
亮ちゃんに対する悔しさとかもどかしさとか、そういった気持ちもあったかもしれないけど、それ以上に大倉くんは「ここにいる」ってことを本気で伝えてくれてるんだって受け取れた。
それを当時気付けなかったことは本当に悔しいけど、「ここに」を観ている時の安心感はそこから来てたのかなって少し思った。
「ここに」のパフォーマンスのあと、審査員席の前に並ぶ時に亮ちゃんが大倉くんに「先どうぞ」的に腕を出して前に行かせるんだよね。その亮ちゃんの様子が、少し大倉くんを気にしてどうにか関わろうとしてるのかなって感じ取れて。それに対して大倉くんは目も合わさず、ずんっと前に出た。
いつもだったら「自分はエースじゃない」と言わんばかりに「俺が一番目立ってはいけない」と言わんばかりに、少し後ろに下がったり、亮ちゃんより前に出ないようにしていたのに。
歌っている時も、ずっと一歩前にいた。
最後横一列のときは、亮ちゃんだけが一歩下がっていた。
人の心理ってわかりやすいなあ、って思った。亮ちゃんはすでにエイトと横一列で歩んでいくのをやめることを決めていたんだもんね。亮ちゃんに対して悪い感情があるとかじゃなくて、そういうことだったんだなって感じた。
そのあとカウコンでも、大倉くんはカメラの向こうにファンの顔が見えてるのかな?ってくらい、テレビパフォーマンスじゃなくてライブ中のような笑顔をしていて、なんだか泣けてきてしまった。
今までじゃ考えられないくらい一歩前に出ていて、あの時に気付いて100%で信じられたら良かったのになって思った。そのあとも、歩く姿は勇ましくって、今後は自分がセンターであること、エースになること、エイトを引っ張っていく立場になることを覚悟して、全うするつもりだったんだなって感じた。
わたしは、15年間この人について生きてきた。
辛い時は大倉くんの笑顔を観て涙を流したし、嬉しい時は大倉くんのことを考えてもっと嬉しくなってた。何か決める時も「大倉くんならどうするかな」とか「この前大倉くんこう言ってたな」って決めてた。大倉くんを何事にも絡めてきた。
5人になって、勢いよくいろんなことが始まって、友よの発売があって、エイトとファンが一致団結して、売上でちゃんと数字が出て、Twitterでファンがトレンド入りをさせるためにみんながつぶやいて、それにエイトが応えてレンジャー日記を更新してくれて。
ああ、だめだ、泣けてきちゃった(笑)
一気に駆け抜けたせいか、少しだけ疲れちゃって、緊張の糸が切れたみたいに、燃え尽き症候群みたいになっちゃって。47発表されて喜んだ直後に、行けない人が多数いる現実に打ちのめされて。わたしの知らないパフォーマンス、歌声、衣装のレポが流れてきて、自分をこれ以上疲れさせないように、傷付けないように少しだけエイトから距離を取った。
大好きだけど、大好きすぎると時に苦しくなってしまうのは、きっと誰だってそう。
その気持ちが届かなった時、相手と同じ気持ちじゃなかった時、自分の理想と離れてしまった時、それは恋人でも友人でもアイドルでも、人は苦しくて悲しくてしんどくなってしまう。
47頑張れ!走り抜け!って思ってたはずなのに「そんなことしなくてもついていくのに」っていう感情になってしまっていた。
ドリフェスは台風で中止、十五祭はドームツアーはじまって始めて行けない東京公演の日が出来て、そのタイミングでJUMP行こうってなって、たかきくんにハマって、これまでの思い入れがないのと全部が新鮮であることが楽しくて、どんどん気持ちがエイトから離れていってしまっていた。
これは、4人を否定しているとかじゃないんだけど、もしこれを読んでくれている4人のファンの人がいたらもしかしたら嫌な気持ちにさせてしまうかもしれないんだけど。
最初にBBQを観た時は「よっしゃーエイト大丈夫だ!」って思った。
だけど、回数を重ねるごとに「大倉くんだけ背負いすぎなんじゃないか」「酔っ払う前にちゃんと話し合いたいって言ってるのにお酒飲みすぎじゃないか(もちろん撮影している以上、真剣100%でいけないのは分かってる)」「エイトの将来を決めるのは大倉くんだけなのだろうか」って思うようになってきちゃって。
4人がエイトを大好きなことも、ちゃんと考えていることも分かってるんだけど、どうしたって大倉くんを好きな私からすると、大倉くんだけ負担が大きいんじゃないかって思った。
MyStoryをみんなで聴いている時、歌詞を見ながら「大倉くんのことは誰が言ってくれてるんだろうか」って思ってしまった。大倉くんがエイトのことを考えながら書いた歌詞で、それぞれメンバーへの想いが綴られたものだから、そうなることは分かってるんだけど。
大倉くんを好きなわたしからすると、大倉くんへの言葉はないのかなって思った。「大倉くんへの言葉を入れたい」ってなんで誰も言わないんだろう?って思った。せっかく大倉くんが考えたから口出し出来ないのかなって思ったけど、もっとありがとうとか嬉しさを表現してもいいのにって思った。恥ずかしがり屋で今更そんなこと言えないのも、言わなくても伝え合える関係性なのかもしれないけど「今ふざけるとこじゃないでしょ」って思った。
そしたら、一気に関ジャニ∞が遠くに感じてしまった。
これからエイトはどうなってくんだろう、って少しだけ不安に思ってしまった。最初見た時はあんなに楽しくてかっこよくてついてけば大丈夫!って思ったのに、なんだかもやもやしてしまった。
個人的な意見です。ごめんなさい。
正しいも間違いも、何もないです。ただわたしがそう思っただけ。
その頃から、周りも少しずつ気持ちが離れてるような雰囲気があって。
そりゃ47外れた古株は、やるせないよなって。
古株にも新規にも平等に当選確率があることは当たり前だし、そうあるべきだって思ってるけど。
心理的には、これまでずっと応援してきて7人になった時も6人になった時も5人になった時も一緒に乗り越えてきて、何回もライブに足を運んで、ずっと見てきた人たちが5人のアップデートを見届けられなくて、なんとなく地元が近いから行ってみたいっていう理由でFCに入った人が当選して。
あまりに残酷すぎた。色々な人の悲痛な言葉を見るたびにどうしても苦しくなってしまった。
そしたら、はじめてエイトを好きでいることがしんどくなった。
すばるくんが辞めた時も、亮ちゃんが辞めた時も好きでいることがしんどいとは思わなかったのに、わたしははじめて自分から手を離したくなってた。
このエイトの波に置いてかれないように必死にしがみつく力がどんどん無くなってしまった。
それでいったんエイトのことを考えるのはやめよう、と決めて、少しだけ精神的に距離を置いた。全部を客観的に見るようにした。大倉くんのことは大好きだけど、大倉くんのことを考えるとどうしてもエイトのことにたどり着いてしまうから、なるべく大倉くんのことも考えすぎないようにした。
そしたらコロナになって、47がいったん中止になって、現場がどんどんと世界からなくなり、ついには家からも出られなくなって、とても大変な世界になってしまったけど、少しリセットされた。
そんな中のハッピーライブで、オモイダマのパフォーマンスを観て「やっぱりエイトが好きだな」って思った。
でもまた、そのあとの活動でついていけないターンがすぐに来てしまった。
けどそれに関しては、自分の質問が選ばれなかったり、自分が動画や画像をすぐに作れなくて波に乗れなかったことが辛かった。から、エイトの企画が悪いことにした。
結局ファンなんてそんなもんなんだなって、自分にとってもがっかりした。
あんなにエイトを応援して、大倉くんが好きで仕方なくて、なんでも受け入れようと努めてたはずだったのに、選択をはじめてた。
だけど、それはきっと自分自身も年齢や経験を重ねてきた部分もあるし、きっとそれも間違ってはないんだって思って、周りの友達も同じような気持ちの人がいて、少しだけ安心して。
Dr.DMATを観始めて、やっぱり大倉くんが大好きだなって思って。
もっともっと大倉くんが活躍する姿を見ていきたい気持ちは一切変わっていないし、より強くなってて。大倉くんを応援するということは、関ジャニ∞を応援するということ。
やっぱり5人がこれから進んでいく未来に、自分も一緒にいたいって思った。
それで、2018年の紅白とカウコンを観て、より一層気持ちが固まってきた。
今はまだ会いに行くことも出来ないし、自分のこれからのこととか今をどう生き抜くかを一番に考えたいし、ゆうやを好き好き言っている方が何も考えずに楽しめちゃうところがあるから、まだ少し距離はあるままなんだけど。
まあこのブログで分かるように、わたしは大倉くんのことになるとどこまでも考えちゃって、勝手に大倉くんの気持ちになって悲しくなったり苦しくなったりして、大倉くん中心に全てを考えてこんなふうに怒ったり悩んだり嬉しくなっちゃうから。本当に重すぎて、近付くと力尽きそうですこわい。
しがないファンの分際でこんなの、大倉くんにバレたら引かれてしまうね。
人生の半分、大倉くんについてきたから、そうやって生きてきたから、まあ仕方ない!
し、それが最高の人生だって思ってる。
まあ何が言いたいかというと、勝手に自分が離れたり寄って行ったりしてるだけで、大倉くんはずっと「ここにいる」って伝えてくれていたんだなということです。
いつだって自分よりメンバー優先で、ファンのことを考えてくれて、腹黒キャラになっちゃっていろんなこと言われた時もあったけど、いつどんな時にライブ入ったって天井や端っこの席にキラッキラの笑顔で手を振ってくれる大倉くん。
たまに自分を卑下しすぎたり、悪い意見に引っ張られている時は不安になったり悲しくなったりしたけど、そういう大倉くんも含めて本当に好き。そういうところも好き。共感もできるし、頭が良すぎちゃうな〜って思う。
あんなに腹黒キャラだったのが、ここへ来て大倉くんがこれだけ素晴らしい人だってことがみんなにバレちゃって、もういちいちわたしがそう思ってそれを信じる必要なんてないんだなって思っちゃった時もあったけど、それは本当にエゴで、大倉くんが色んな人からプラスのパワーを受け取って、もっともっと前に進んでいけるならそれをずっと応援していたい。
大倉くんの幸せな世界をずっと願ってたはずなのに、自分を特別なファンだと思って驕ってたなあって反省した。
大倉くんがくれた言葉、優しさ、強さをこれからも大事にしていこう。
わたしも変わらずに、ここにいよう。
ははは〜〜〜〜
相変わらずの重さ!相変わらずのおセンチモード!!!
詩人でも目指してるんですか?みたいな言葉のオンパレードだけど素直に書いてみた。
はやく大倉くんに会いたい。